2009/10/11記
いつも当HPではいい加減に軽く書いているので
かなり適当な人間と思われております。
ですが、本人は至って真面目です。
堅苦しく書く方が大人と言う感じもしますが、
結局、通常の会話や飲んだりしているときに
そんな真面目に話しているわけではないので
いつもどおり、飾らず普通に書いている次第。
硬いときもあれば、ジョークばかりのときもあります。
しかし、これでも一般的な常識をわきまえた大人と
自覚はしております。
特に嘘をつくことは大嫌いで、
嘘がつけずに好きな彼女と別れてしまったくらいです。
でも、最近一度だけ嘘をつきました。
この10年で一回くらいの大嘘です。
新しく作業場を借りる際に大家さんに
嘘つきました。これは前の借主からの
話の流れに乗せてくれとのことだったので
しょうがないのですが、今だに気分は悪いです。
大人の都合か何かそういうのもありますが、
嘘はいけません。子供の教育にも。
深く反省して、いつか大家さんに言わなければと
思っているところです。
さて、真面目にプロフィールです。
本業は、当バイク店を1軒のみ経営しております。
経営といっても私1人ですから
整備に修理、車検に登録に、車両運搬。
経理、税務から営業、ホームページの更新から
保険の販売、その他たくさんの付随の仕事をすべて1人でやっております。
当店主催のイベントというものは忙しくてやることはありません。
バイク屋さんにありがちなツーリングなども今は余裕がなくやっていません。
この10月から木曜定休ではありますが、休みというわけではなく、
大学の講義の都合上そうした次第。
年中ほぼ無休。年末年始も盆休みもなく、
1年365日毎日働いて借金返済に勤しんでいます。
一日の平均売り上げが1万円弱。そのうち利益は3000円くらいなので
年収は本当にびっくりするくらい安いです。
しかし、情があるのかお客さんが差し入れてくれるご飯などで
なんとか赤字を増やさず頑張っている次第。
副業は、非常勤の講師など。
大学でのお仕事、県でのお仕事、他いくつか臨時で
ピンポイントで頂いております。
もし講師依頼ありましたらご連絡ください。
基本的な整備技術や工学的視点からの整備というような話題。
あとは海外ラリー参加のための基本準備とかそういうのです。
一応パリダカールラリーでのメカニック参加経験者です。
日本からというよりはヨーロッパチームからの参加だったので
海外チームと日本チームの大きな違いを感じております。
そして夜は毎日、大学生をやっております。ちゃんと学費払っています。
毎日休まず真面目に通っていますし、受講態度も真面目です。
自慢ではないですが、小学校中学校と病気や怪我で休んだことは
ありません。皆勤賞(皆学賞?)です。
坊主頭で、山に入って遊んでいて、まったくガリ勉ではありませんでしたが
学校に行くのは楽しかったです。毎日友達と会えるから。
勉強なんかより体鍛えろ!というくらいの
運動スパルタの父親のおかげで
なかなか壊れない丈夫なからだを作ってもらいました。
塾などは行ったことがないのですが、
成績はかなり良かったようです。
勉強するな!という親のしつけによって、学校内で集中して
勉強できていたんじゃないかと思っています。
今は社会人の学生ということで、自身の勉強だけでなく
できる限り学生さんに会社の現場と机上理論の隙間を埋めるべく
努力させて頂いています。
来春には、職業訓練指導員の資格も取る予定です。
一応、旋盤などの技術的な資格はかなり昔に取っていて、
あとは指導方法の講習だけで取れるのですが、
最近若い人に色々指導することが楽しくなってきましたので、
ちゃんと指導法というのを学んで、役立てたいと思っております。
大学卒業後は工業高校の先生の資格もとれるとのことで
その方向でも少し足を伸ばして
若い人の車離れを阻止して、
日本のものづくりを基本から見直してもらいたいと
感じる今日この頃です。
日本は、工業立国です。資源はありません。
技を持たずして成り立つはずがありません。
誰もがサービス業になると基盤がゆらぎます。
ものづくりというものを今一度見直してもらえるよう
後輩の見本になるように、
夢のあるオートバイを作りたいと思ってもいます。
少しは真面目な面も見てもらえましたでしょうか。
あと一言加えるならば、女性に対しては本当に一途です。
たまに浮気癖もあるようですが、本心かどうかは
最近自分でやっとわかるようになりました。
なので、今でもあの頃に戻りたいと期待したまま
生きている次第。10年待ったのであと10年待ってみるか、と。
これは相手の気持ちがあるから、真面目なのかどうかわかりませんが。。。
2009/09/27記
40歳いまだ独身です!(30の時もこんな事書いた覚えが。。。)
10年ほど前には本当に本当に大好きだった人がいましたが
私の愛想が尽きてしまい別れてからずっと一人です。
途中、仲良くなりかけた方も何名かおりましたが
でも、なにか重くて重くて、前の彼女に謝って
やり直せないものか、と思っていたらもう10年。
男の方が未練あるんじゃないかと思うのですが、どうでしょう?
彼女のその後は風の便りもまったく聞かないのですが、
幸せになっていてもらえれば、とそんなところです。
もう彼女も40になる頃だし、まだ1人だったら罪だなあと
思いつつ。。。
別れて1年くらいは(心の)暴走をしていたように思いますが
少しは大人らしくなりたいものだとやっては来ましたが
いまだに大人になりきれない自分がいまして情けない。
店の経営も、利益重視では全くやっていないので
そこそこ地元の信頼こそ得られども、
社会的信頼は全然無いようで、
銀行からの借り入れはゼロでローンすら組めません。
ま、変なところから借りて一時しのぎをしてしまったのが
大きなミスで数年は大借金を返済する日々でした。
200万くらい借りて、返却は600万くらいしたんじゃないかな。
なんせ28.9%とかいう利子のところから借りていましたから。
利子が利子を呼ぶってのは本当に怖い。
皆さんも変なところから借りないよう。
私はギャンブル、夜遊び、飲み歩きなどは一切しませんから
これらの借り入れはすべて事業用でした。
担保もなければ保証人もいないので
借りるのはこういうところしかなかったのです。
一部は海外ラリー参戦時にも使いましたが、
ま、年に1度の遊びですから勢いよく使った次第。
と言っても数十万です。
セコいわけではないですが、自分だけの範囲では、
できる限りの節約はしています。
食費も電気代も携帯代も。
でもみんなで飲むとき食うときなんかは結構パーッと
使いますし、後輩が居る時は、カッコつけて気前よく
全部おごったりするので、翌月のカード引き落とし日前は
地獄です。
とそんな毎日を送っております。
2006年2月には借金も一通り返せる見込みが見えたので
ま、なにか自分を追い込んで勉強してみたいなあと
そんなことを思っていたこともあり、
機械工学とやらをイチから勉強し直したいという
欲望は毎日のようにあり、
35歳にしてもう一度大学に、と大学受験をしてみたわけです。
決して試験成績がよかったわけではないと思うのですが、
横浜国立大学の二部工学部に入学が出来ました。
詳しくは2005年の秋前後の小言に
書いてあるんじゃないかと思われます。
さて昼はバイク屋、夜は学生という2足のワラジ生活が
2006年の春から始まりました。
当初は、それほど勉強に力を入れていませんでしたが、
2年、3年と進むうちに、かなりきつくなってきました。
とにかく、毎日2〜3時間は予習復習をしないとついていけません。
ま、社会人学生ですから、仕事が最優先ではあります。
できるだけ大学を休まず(学費もったいないですし)、
かつ学んだことはできるだけ吸収し、仕事に生活に生かせるようにと
頑張ってきょうまで。早くも4年生の真ん中です。
この4年生前期は本当にきつかった。
20年前にも学生をしておりましたが、あの時毎週徹夜した
工学実験レポートを思い出します。でもあの時は手書き。
今はパソコンを駆使してやっています。時代です。
パソコンを駆使してもパソコンに使われているような
状況で毎週1日は徹夜するようなそんな状態での春でした。
さらにこの春からは大学でのお仕事も少しもらって
朝はバイク屋、昼から大学の非常勤職員、夜は学生と
3足のワラジです。
ついでにサークル活動なんかもやっているわけです。
入学当初は自動車部かなと思いましたが、その横でやってる
フォーミュラ部というのがなにやらとても面白そう、
ということでこちらに入部。
さっそく色々いじってマシン作れるなあ、とよろこんでいましたが
私は国家資格の整備士です。このフォーミュラの大会は
自動車技術会主催の学生イベントですから、プロが触っちゃいけません、
ということで、学生なのに、直接触れないという立場に。
で、必然的にアドバイザという役柄に落ち着きまして、今は
若い学生さんたちと楽しくそして私もいろんな技術を吸収させてもらっています。
ということで寝る暇も無いというような生活ももう4年。
歳も40歳。来年前厄。もうすぐ厄年。
ボチボチ来るだろうなあ。。。と体力、健康に気をつかう毎日です。
やや腹の周りが気になってきました。。。
そうそう、この10年、恋のドキドキは全くしていないのが問題です。
若いカワイイ学生さんは大学に居ますが、さすがに親子ほど離れた歳ですから
とても抵抗があります。石田純一さんはとてもすげー!と思いますよホント。
といって、ご近所の奥様の皆さんにもそれなりに人気はありますが、
不倫はいけません不倫は。
衝撃の出会いは無いもんかと思いますが、やっぱり無いものです。
ま、毎日、店に戻るのは深夜。勉強も忙しいし、寝るのは朝の3時4時。
仕事も山積みで土日は仕事三昧。仮に彼女が出来ても
デートして遊んでいる暇は今はないのが現実です。
ま、しばらくは無理だなー。でも早く結婚したいです。
なんせファミリーが欲しいのです。子育てを楽しみたい。
そんなこんなで40歳。
果たしてどうなるんでしょう?現実を見ますと
夢の海外生活ももうひとりじゃ行く気にならないですし、
この歳でサラリーマンに戻るのもなんだか難しそうで、
自営業か、小さな会社で旋盤でも回すかな、と思うところです。
大学のお仕事も、ちょうど政権交代で予算がなくなるような気配で
来年は無いかも知れませんしねえ。
ま、地道にバイク修理屋をやりながら次世代の車を
ローテクで攻めてみたいとそう思っています。
アプローチの仕方が違うだけで目的は世の中と
大体同じですから、ま、そういう方法もあってよかろう、と。
恋のアプローチは、まだ考えていませんけどねー!
ということで、今日は恋愛論?でした。
金は無いけど、夢はある、生活に笑いもあると思う。
こんな私でよろしければどなたかアプローチください。
若い人でもよろしいです。ご両親が反対しないのなら。。。
いやあ石田純一さんは、すごいねー!
2009/02/20記
40歳を目の当たりにしまして「少しだけ」真面目に経歴書を書くことにしました。
いや、なんとなくなんで今こうなったか?を書いてみたいと思いました。
昭和44年(1969)3月10日生まれ、酉年、A型です。
と言って何がわかるものでもありません。
とりあえず、年齢は威嚇用です。見た目は30歳くらいらしいです(?)
現在バイク屋を始めまして12年目です。
整備歴はバイクをいじり始めたという意味ではもう28年目くらいになります。
いやあ、歳をとっても性格は大して変わりません。
結果よければ、というのは大嫌いなのですが、結果が出てしまうと
途中の整理を改めてすることはありません。
時間が勝手に解決してくれたり、忘れたりするようです。
いまだに、店の中を整理しようとかは毎日思うのですが実行に至りません。
しかし、毎日改善案は浮かぶのでメモだけはします。
バイクは、中学生のときに無免許で乗って以来、とても人生にインパクトを
与えたモノで、いまだにRZ250の加速感は、体に染み付いていて
いくら速いバイクや車に乗ってもあれを抜くことは出来ません。
人生を決めた一瞬があったからこそ今でもバイク屋やってるんだと思います。
現在の職に至るまでには、かなりの職を転々としました。
元々はミノルタカメラという会社(現在のコニカミノルタホールディングス)の
開発センターにおりました。何をしていたかというと次期、もしくは将来発売されるであろう
新機種の開発試作というものです。
若いエンジニアが400人くらい集まった開発センターで、
多分平均年齢が30くらいだったかと思います。
その中で、私は、毎日設計者が書いてくる10枚以上の図面を見て、
旋盤、フライス、プレス、板金、レーザー加工に、溶接にと一通りの
加工技術を身につけながら単品モノを製作する日々。
試作図面ですから量産のように甘くはなく、えらく精度の厳しい世界でした。
設計者も若いので無理難題もあり、そのたびに私は設計に怒鳴りこんでいました。
(いえ、温厚に、ココの部分加工が楽になるんでこうならんかなあ?と)
おかげでいろんな部署に顔を覚えられ、厚木開発センターでは
部署をはさんだところでは多分一番知られていた顔と思います。
会議で熱くなりすぎ、上司に怒鳴り散らすという無謀な若者でもあったので
所長にもよく覚えられてしまいました。仕事には熱い人間だったと思います。
加工については精密加工の分野になるわけですが
削りと違って曲げで精度を出すのは大変です。
まあ、簡単に言いますとJISで定められた1.6mm厚の鉄板を
2回折り曲げ、コの字を作るとしますと、そのコの字の上と下の部分の
穴の軸精度が0.05mm以下というようなやつです。
ま、これがどれくらい凄いことかというと、文字での説明は面倒ですが、
まずJISに定められた1.6mmの板というのは1.48mmでも
許容内であることから、これをまず補正するべく頭に入れます。
次に2回曲げがありますが、鉄は曲げると内側は縮み、外側は伸びます。
厳密には中央よりも少し内側が中心になるそうですが、ま、大まかに中央が
伸びない位置として考えても、鉄を曲げると少しは伸び縮みします。
つまり曲げる前には内側寸法基準の場合、少し大きめに切断しなくてはなりません。
少しというのは大体0.1mm程度です。これが2回分で0.2mm。
それと先ほどの板厚の補正とを考えて、さらに油圧プレスブレーキでの押し具合、
朝と夕方ではプレス機械の油温なども変わり、
調子も違ってきて、同じ押し方では同じものが出来ません。
というような世界です。慣れれば簡単ですが奥が深い仕事です。
ですので3年目くらいになると、SECCの板厚が0.8mmで、曲げの幅が140mmで
曲げ角度が27.3度(プラスマイナス0.5度)にしてくれと
図面が要求しますと、板を手で持つだけで、ああ今日の材料は0.05mm薄いな、と
感じたり、気温や機械の調子も考えながら、ま、こんなもんかなと左手でぐりぐりっと
油圧プレスの上下移動距離のダイアルを回しながら右手で曲がり具合を(特に速さ)確認して
スプリングバックは(機械から離すとちょっと角度が戻るのです)こんなもんかな、と
言う感じで大体1発か2発で決められると、それはもう職人芸の世界に近づいていました。
私は性格がいい加減な割には公差内の27.0度では納得いかず、
公差のセンターの27.3度で出していました。
これが量産に入ると、試作で出来ていたものが量産では公差に入らん、という
トラブルもあるにはあったみたいですが、量産は生産技術屋さんの
分野です。こちとら職人魂で、真ん中にきっちり入れるのが仕事と
思っていましたが、なるほどそういうのもあるのか、と
一時、公差を限界ギリギリまで振り分けると言う作業もしてみたことがあります。
3年以上もこんなことをやっていたので、まあ、かなり加工というものの腕には
自信がありましたが所詮、試作です。15年も現場を離れるともうさっぱりです。
その会社も当時、アメリカとの特許紛争(AF特許紛争)で負けてしまい、
出資している銀行陣が経営に入ってきて、大規模なリストラと
技術屋の営業職への配置転換、ボーナスカット、ボーナスの物品現物支給、
一時帰休(会社を休みにして給与カットされる)が始まり、
挙句には社内で仕事したら赤字になるから外でやってもらってこいというような
状況に追い込まれ、最後の数ヶ月は仕事が激減して困りました。
若かりし私は、会議の度に、上司にケンカを売ってしまうという熱血社員だったのですが
(机叩きまくったり、大声で「いい加減にしろー、なめとんのかー」という
恥ずかしき失礼な時期)
ま、仕事が無いのはしょうがない、一度行って見たかった海外というのを経験しようと
会社を辞めました。自己都合です。もう少し粘れば、その事業所が廃止になったので
会社都合になったといえばなったのですが、ま、そんなのはどうでもいいことです。
会社をいきなり辞めたのはよいが、寮を出て突然実家に戻ると、両親からは、
何でお前ココにおるねん?みたいな世界になりまして、
1週間とて持たず、家を出まして飯場(ハンバ)生活に。
(世の中のニートもちゃんと自分の立場をわきまえろ!)
飯場というのはいまどき若い人は嫌って無くなったので一応説明しますと、
大規模な工事現場がありますと
そこに通うのは大変なので現場内、もしくは周辺にプレハブでこさえた
建物を作って、事務所兼住居となるところです。大食堂や立ち飲み屋、トイレに
大風呂までプレハブ内に作られ、若いのは16くらいから60越えた親父まで
共同生活です。多分に上下関係はかなり厳しく、年齢よりも経験によるところが
大きいので、入りたての小僧が親分よりも先に風呂に入ることはシバキという目に遭います。
また、このハンバ、中には非合法ギャンブル施設などもあって
なかなか日本の土建業というのは素晴らしいシステムを持っているなと
思った次第です。だって今日稼いだ3万円はそのゲーム機に吸い込まれて
明日もしょうがなく稼がなくてはならないからです。ハンバ代は無料です。メシも無料。
夜中に町に飲みに行くときはハンバの車を勝手に拝借して行ってました。
ま、そういう世界もあるんだな、といい経験になりましたが、
その職場の方々は殆どが何か世の中でトラブルを起こしたり、
逃げてきた人が多く、別の意味で社会経験にもなりました。
最近は当たり前になったタトゥーもホンモノ見ているとゴミに見えます。
ちなみに飲んで帰ってきたら自分の布団に他人が寝ていることもあり、
下っ端だったら蹴っ飛ばして終わりですが、先輩の場合は
自分より下の奴の布団をかっぱらってきて寝る。
下の奴は文句言えないのでしょうがなく隅っこで作業着集めてきて寝てるという
そういう世界です。ある意味体育会系。ある意味、ちゃんとした上下関係です。
毎月60万くらい稼ぐこのバイト(いつぞやの小言にも書いたので探してみてください)も
足を洗い、海外へ逃亡、いや、海外へ初の観光?です。
93年の11月くらいから95年の2月まで、オーストラリアへワーキングホリデービザを
利用して移住しました。英語なんて全くわからん状態です。
もちろん中高と多少は英語も勉強したのですが、まず聞こえません。
相手の話す言葉が聞こえないと会話になりません。筆談じゃ厳しいし。
ということで、しばらく現地で英語の勉強をしました。
2ヶ月もするとかなり聞こえるようになり、1年もすると映画を英語で理解できるように
なってしまいました。しかし語彙力というのは使わないと衰えるものです。
あれから15年。その後何度か海外には足を運んでいますが、英語はイマイチです。
でも通常会話には困りません。あの時、日本を出てよかったと思っています。
海外では、オーストラリア生まれの韓国人2世が親玉の会社に勤めまして、
トラックやバンの運転を任されて、配達やらVIPのドライバー、
店の商品の梱包なんぞをやっておりました。
朝早く3時くらいから出社してその日に日本に帰国されるお客様のホテルへ商品を
配送しにいくという仕事がメインでした。
なのでシドニー市内の道は日本のどの街よりも詳しく知っています。
毎朝、携帯電話(当時は自動車電話と言った)を持ちながら車を走らせまくりましたから。
駐禁切られても、車の持ち主が払う法律だから罰金払うのは社長の息子。
点数は引かれるけど、国際免許だから引かれないというメリットを利用して
バンバン働かされました。でも皆良い人で、ホント恵まれてるなあと思いました。
会社の車もずっと貸してくれて通勤や遊びにも使えたし、会社の駐車場はなんと
あのオペラハウスのまん前のキーウェストという超一等地に横付けですから。
飲みに行くときもこの駐車場のカード持っていたのでいつも偉そうに停めていました。
会社はバンブルクハウスという会社で、元々はオパール(現地ではオーパルと言う)で
一発当てた会社だそうです。その後日本のANA(全日空)グループに買収されたとか。。。
海外での日常生活は、バイクです。あと酒とギャンブルですね。
毎日バイク乗り回していました。仕事は朝3時に始まり9時には終わるので
午後はバイクで林道行ったり、コースへ行ったり、ツーリングにバーにと大活躍。
ちなみに現地は当時飲酒運転はOK(もちろん限度はある)だったので
バイクや車でのみに行くのは通常でした。
ギャンブルはたまたま知り合った人に教えてもらって、いろんなクラブに行きました。
ラグビークラブの会員にもなって、会員専用プールで泳いだりジムで汗流すつもりが
ゲームコーナーでギャンブルしながら酒飲んで、隣のじーさんばーさんと仲良くなってと
そういう毎日でした。日本のパチンコと大きく違うのは、酒が入ることと、
隣同士が大笑いしながらしゃべって楽しんでギャンブルすることです。
まあ、数時間遊んでもせいぜい2000円くらいしか使わないから
ギャンブル性は低いのですが、酒代とおもえばなかなか楽しい公民館です。
日本の公民館もそういうのをやってもいいんじゃないかなあ。
バイクは、現地のクラブチーム(地域ごとにある)に入って
毎週木曜の午後7時からミーティングと称して酒飲みながら
先週のオーランパークの走行会のとき、あのコーナーのあそこが危ないから
修理しよう、とかそういう真面目な話をやりあいました。英語の勉強にもなりましたね。
日本はMFJなどのトップダウン式が多いですが、レースを底辺まで広げるには
地元中心の底辺のクラブ活動が必須だなと思いました。
続きはまた書きます。